2017年11月21日火曜日

ダージリン3日目

 昨日はホテルを代わっただけで食事以外ホテルでゴロゴロしていた、列車の旅で参っていたからね、ジジイはあんな無謀な事はしちゃいけないんだが仕方がなかった。
 何だかんだ2週間程インドにいるんだが、何だかウンザリしてきた、インド人は昔と違って無害になったし(今のところ)、旅をするのも別に支障はないんだが。
 ここダージリンに来たのは別に何の目的もない、ただ昔の思い出があって、のんびりとして景色もいいし、食事もカレーじゃないのがいいってだけで来たのだ、しかし来なければ良かったって後悔した、車が溢れ排気ガスとけたたましいホーン、天候の加減だろうけど景色もボーっとしている、思い出のダージリンではない、この先ガントクやカリンポンに行こうと思っていたのだが、やめにする事にした。
 記録を見ると71年10月に来ている、今ではどこにあったのか定かではないチベット人の難民キャンプに行っている、その時の写真だ、半世紀近い前の彼らは今何処で何をしているのだろうか?元気でいて欲しいと思う。
 まあ、ガッカリしたダージリンではあるが、適当に歩き回ってみた、昔はこんなに人が溢れかえっていたはずはない。
 ダージリンと言えばトイ・トレインと、まずは駅へ行って見る、数台の蒸気機関車があって整備やら石炭の積み込みなど作業をしている。
 近くに寺院があったので入る。

 インド人の訪日ビザ緩和と言うニュースを読んだ、緩和は結構だが入国に3時間はかけて欲しい
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2017年11月20日月曜日

ダージリン2日目

 夕べは9時前に寝たのに起きたのは6時、その間一度も目が覚めなかった、余程疲れていたのだろう。
 起きたのはいいが停電でネットが使えない、窓の外はこんな小汚い風景、税金を含めて1100ルピーも払ったのにだ、昔(半世紀前)のインドと比べて今のインドにお得感はない、いつもついこの間まで住んだタイと比べてしまうのだが、あらゆる物や事でタイより劣る様に思う、確かに道端で食べる物はタイより安い、しかし清潔感が全くない、お店で食べると同じくらいか高い、街の清潔度ならタイとは比べ物にならないくらい酷い、場所にも依るとは思うが、ホテルはタイの方が清潔だと思う、昔のインドは安かったから多少汚くとも我慢が出来た、半世紀経った今もゴミは昔と変わらない、街はカラフルになって道行く人も小綺麗な恰好になった、カルカッタ(コルカタ)では野良牛やあの群れをなしているような乞食や人力車は見なかった。
 大体あのサダルストリートに外人(西洋人)が見当たらなかった、物乞いは皆無、客引きも一人二人しか来なかった、タイのカオサンとは大違いだ、何処かにそんな所が出来たのだろうか?
 そういえばここダージリンでさえ外人(西洋人)
を数人しか見ていない、ゴミと異臭、大して安くない物価でインドの魅力がなくなってしまったのかも。
 窓から小汚い風景しか見えないこのホテル、7時になっても8時になっても停電は復旧しない、9時前になったら、枕元の窓の外でけたたましいエンジンの始動音、と同時に部屋の灯りが灯った、何だ自家発電持ってるんじゃん、停電と同時に始動させろよと思ったが、夜中だったら寝ていられなかっただろうから良しとするか。
 夜中に始動させられたらとっても寝ていられないこんな部屋に長居は無用、朝飯がてら他のホテルを探す事に、すぐ近くでネットも使えて500ルピーの部屋発見、早速そちらに引っ越し、内装は落ちるがこれで十分。
 移ってきたはいいがマネージャーがどこかの会議に行っていてWiFiのパスワードが判らないとの事、1時間程で戻るから待ってくれと言う結局3時間近く待たされる。
 5時頃にはネットがダメになる、これはホテルのせいじゃないんだけど。
 いやぁ、インドは昔も今も修行の国ですな。
 そう言えばインドの駅にはFree WiFiがある、多分空港なんかにもあるんだろうと思う、で、全国の空港・駅等公共の場に設置(かどうかは知らないが)というと凄く聞こえはいい、GJと誰でも思うだろう、ところがこれほぼインドに暮らすインド人の為、アクセスするとSMSを送るから携帯番号を入力せいって出る、頭の国番号がインドに固定されていてインドの携帯番号を持たない者には使わせない、って事は外国人旅行者の為じゃないんだな。
 どこの空港かは忘れたが、パスワードをメールアドレスに送るからってのもあったし、チェックインして出国ゲートを通り過ぎた後のFree WiFiでパスワードは空港のインフォメーションでというのもあった、誰が考えたんだかどうやればいいのか教えてもらいたいものだ。
 晩飯ついでに本場の紅茶を買って来た、こんな物も持っているんだが、ホテルの兄ちゃんにお湯をもらって飲んでいる、紅茶なんか飲む習慣がないものだから美味いんだか不味いんだか判らない、まあ美味いとも思わないし安ものだから美味くない部類だと思う。

2017年11月19日日曜日

シリグリ ⇒ ダージリン

 昔を再現した列車旅、朝になって明るくなった車内、昔に比べると荷物が少なくなった、そこらで転がって寝ている人達の服装も良くなった、しかし小汚い。
 こんな車両だから車内販売の弁当なんて来ない、駅に止まると無理やり人を掻き分けて物売りが乗り込んで来る、そんな物売りの豆を買った、10ルピー、バケツに入ったそれをお玉で葉っぱで作った(?)皿にぶちまける、大して美味くはないが腹の足しにはなる。
 因みに車内の写真、流石に混雑中の写真は撮れなかった。
 シリグリの駅(New Jalpaiguri Jn)の手前で40分も止まったこの列車が駅に着いたのは12時ちょっと過ぎた頃だった。
 ディマプールの駅で待つこと7時間、車中17時間の移動、そしてこれからどうするのか?

 
 New Jalpaiguri Jnの駅前に出ると早速タクシーの運ちゃんが寄って来たので、ここからダージリンまでのトイ・トレインの事を訊いてみる、明日の朝との事、ここに泊まって明日何時間も掛けて玩具のような列車に乗りダージリンまで行く程乗りたいとは思わないので、Siliguri Jn駅前から乗り合いで行く事にする。
 こんな車でダージリンまで150ルピー、ナンバーの下に唐辛子と柑橘系の実で何かのおまじないなのかが釣る下げてあった。
 ダージリンに到着して近くのホテルを何軒かチェックしWiFiが使えると言うホテルにチェックイン。

 ネットをチェックして晩飯に「モモ」、疲れ切っていたので9時前には寝てしまった。
 自前のSIMを買ったのに、何で
WiFiが使えるホテルを探したのか、って事だけど、使用出来なくなった、ネットで以前読んだ記憶があるんだけど、そこには州を跨ぐとダメって書いてあったように思う、 そんなSIMを買ってしまったようだ。

2017年11月18日土曜日

ディマプール ⇒ 車中泊

 とうとう恐れていた事が起きてしまった、昔の旅を再現しようと思った今回のバックパック、これだけは避けようと思っていたのに。
 昨日手に入れたシリグリまでのキップ、ウエイティング・リストと言ったのはその通りだったのだ、窓口では根掘り葉掘りコミュニケーションの問題もあって訊けなかったんだけど、ホームにいた案内みたいな人に色々と訊いたのだけれど、やはりコミュニケーションの問題で納得する事は出来なかった。
 それで今日、ホテルを昼にチェックアウトして駅へ、案内窓口へ行って切符を出して、今日乗って行けるのか訊いてみた、何やらPCを操作して切符に何やら書き込んで面倒くさそうに放り投げて返してくれる、ホームのベンチに座り16時10分発という列車を待つ、1時間程前になって2時間の遅延が電光掲示板に、結局3時間程遅れて列車はホームに。
 どの車両に乗ったらいいのかも判らないので適当に乗り込んで車掌に訊こうと思ったんだがこれがまた大変、人と荷物で大混乱、そんな混乱が落ち着くのを待って、後ろにいるという車掌を探しに人と荷物をかき分けながら後ろへ。
 検札をしていた英語の堪能な若い車掌に訊いておおよその事が判明、この切符はやはりキャンセル待ちの切符、この列車にはそれがなく席は取れない、しかしシリグリまで行くのはOK、 払ったお金は最低料金(自由席)のシニア割引らしい、車両はS11との事、そしてその車両に行って愕然、その昔、無賃乗車を繰り返していた車両と同じように床に網棚に人が寝ている、すき間なんてない、こうなったら仕方がない、僅かばかりのお金(230ルピー)だが、それを払って 昔の再現をするしかない。
 こうして3時間遅れの列車に乗ったのだが、流石に今では人々の間に無理やり横になる勇気はない、どうにか乗車口付近に座れる場所を作って無理やり座る、汗の匂いやらが気になる、到着時間を訊いていない、何時間この状態なのだろうか?
 乗車口付近なので駅に止まる度に人の出入りがあって、その度に起こされるので寝られない。

2017年11月17日金曜日

コヒマ ⇒ ディマプール

 今日はここから80Km程離れたディマプールという街へ移動する事に、その街には駅があって、シリグリまで鉄道を利用しようと考えているのだ、ホテルを出てちょっと歩くとN・S・T(ナガランド・ステート・トランスポート)がある、近くの街なので頻繁(?)に出ているだろうと時間は訊いていない。
 残念な事にちょっと前に出発してしまって次のバスを待つ事に。
 一時間程待ってチケット購入、チケットをよく見ると「SEMI DELUXE」とある、上の写真のバスだ、インド基準だとそうなるらしい、雨がシトシト降って、舗装されていないターミナルはぐちゃぐちゃ。
 周りの山々が濃い霧で全く見えないコヒマを出発したのはターミナルに来てから2時間も経った10時。
 街中でさえぐちゃぐちゃなので山道は酷い、そんな中をバスは左右に酷く傾きながらノロノロと走る、バスの性能云々ではなく道が酷いのだ、昼飯休憩の後は酷い霧、元々ノロノロ運転なので霧だからと言ってスピードが落ちる事もない。


 そんなバスに揺られて4時間半、ようやく到着しました、N・S・Tのバスターミナル、鉄道駅の真ん前。


 もしかしたらシリグリへの列車に乗れるかも知れないとすぐに駅へ。
 残念ながら今日のはもうダメとの事、ホテルにチェックインして、改めて切符を買いに。
 ここで色々あって購入できたのはこの切符、切符買うのも大変なのよ、ウエイティング・リストって言ってたけど、何か違うらしい、キャンセル待ちでもないと言う、じゃ乗れるの?って訊くと乗れるって言う、どの車両でどの席とも書いてない、何なのこの切符??  窓口は混んでいるし売ってるやつは面倒くさそうな顔してるんで窓口を離れる、230ルピーと異常に安いし、明日判明するだろう、果たしてどうなる事やら。
 どっと疲れが出て駅前でこの兄ちゃんが売ってたモモを立ち食い、50ルピー。

2017年11月16日木曜日

インパール ⇒ コヒマ

 朝6時発だという乗り合いのランドローバーみたいなやつに乗るため5時半頃ホテルを出る、ちょっと歩いたら写真左の光景が、牛が屯っているのは見るが、馬は初めて見た、写真だと道の端に見えるが、中央分離帯のこっち側、って事は道路の真ん中、どうして道の真ん中にこんな大量のごみがあるんだ?
 
 お堀の北の交差点付近の乗り場に到着し、切符を購入ディマプール行きでコヒマで途中下車する(700ルピー)。
 切符には6:00発ってあるけどお客がいなければ出ない、今回は2時間経っても集まらない、結局8:30に出発、こんなならバスで安く行った方が良かったかも、雨がシトシトとし道はぬかるんでドロドロ、舗装されていない所の方が大半なので大変、途中休息・昼飯などで5時間半かかってコヒマに到着。
  ここには「Kohima War Cemetry」があるので早速行ってみた、この写真の入り口は閉まっていたので他にないかなと一回りしてみたのだけれど、どこも閉まっていて入れなかった。
 昼飯モモ(80ルピー)
 晩飯サモサ(20ルピー)

2017年11月15日水曜日

モレ ⇒ インパール

 朝4時過ぎに目が覚める、夕べは早く寝たから。
 この時間ならネットも早いだろうからルーターの電源を入れるが、圏外でダメ、何度オン・オフを繰り返してもダメ、騙されたか?
 インパールに戻ったら繋がった、電波が途切れていたのかな。
 ホテルの兄ちゃんに昨夜訊いたら朝一のインパール行きは6時との事、どうせその時間には誰も起きていないだろうからと昨夜支払いやらをしたのは正解。
 6時前にホテルを出て車を確保、小汚い市場に行って朝食、兄ちゃんが揚げた物とおやじが淹れたチャイで20ルピー
 インパールからここへは300ルピー、ここからインパールは500ルピーとホテルの兄ちゃんが言っていた、運ちゃんもそう言った、何故なんだろうね?私より前に降りた人が500ルピー札を出したのを見たので間違いはない。
 6時出発(お客がいれば)が遅れに遅れて7:30発、その上運ちゃんが慎重と言えば聞こえはいいんだがトロい、11時にもならない途中で昼飯なんかにするから4時間以上もかかってしまった
 ここインパールの郊外に「戦没者の慰霊碑」がある、20Km程の郊外で行き方も判らない、その先に湖があって観光地になっているらしいのでバスがあるはず、しかしそれを訊き周っていると時間切れでもう一泊しなければならなくなるのも嫌で、ホテルを出た所にいた人の好さそうな三輪車の運転手と交渉する事に、スマホの地図を見せて交渉すると、場所を知っているとの事、値段はちょっと考えて800ルピーと言う、高いような気はするのだが、慰霊の前にまけろまけないなどとやりたくもないので承諾、ボラれたなら運ちゃんに喜捨。
 現地に着くと何やらノートを持ったおやじが来て記帳しろと言う、中を見ると日本人より他国の人の方が多い、わざわざこんな所まで来てくれるのが嬉しい。

 日本政府が建立した「インド平和記念碑

 「インパール作戦々没勇士之碑
 近くにいた英語の達者な村民(?)がこれらの碑とインパール戦に付いて話をしてくれた、この地は激戦地の一つらしい。
 帰って来て、道端で小エビのかき揚げ、一個10ルピーX2で昼飯代わりに、何て安上がりな人間なんだ。

 そう言えばこの写真のホテル、ホテルとあるがホテルじゃない?
 インドではホテルとあっても宿泊出来ないホテル?があってレストラン・食堂の事だそう、教えてくれたのはバンコクから同行のO氏、数か月もインドにいた事があるのに知らなかった、悲しいかな当時の私にはレストランもホテルも縁遠い生活だったのだ。

2017年11月14日火曜日

モレ ⇔ タム

 5時に目が覚める、昼間や夜はネットが遅いので早朝がベスト、外を見ると人がちらほらと見える、朝早くからお仕事ご苦労さんです。
 6時頃向かいの市場に朝食に、これがまた汚い所なんだけどしょうがない、これで20ルピー。
 その後ホテルに帰ってネット、いい時間になったら、今日は開かれているミャンマー・マーケットに行って見ようと思う。
 ここへ来る前にインパールで両替をしようと思ったら日曜日、国境なら両替も可能だろうとやって来たのだが、ここには両替屋はないと言う、銀行に行ってみたのだがドルも円も不可、ホテルの兄ちゃんに訊いたらミャンマー・マーケットなら両替屋がいると言うのだ。
 で、昨日閉まっていたゲートに行ってみると開いている、出入り口には兵隊がいて、I-Pass保持者のみとかの看板なんかもある、訊いてみたらやはり通れない、両替をしないと困るので、どうしたものかとウロウロしていたら不思議な事にタムの街に入っているではないか(笑)、かなり大きなマーケットでインド側よりも賑やかで道もよさそう、早速それらしき人に両替を頼む、コルカタよりレートは落ちるが仕方ない、その後マーケットをうろついていたらまたまた不思議な事にモレの街に戻っている(笑)、ホッとして小エビのかき揚げを摘まんでホテルに帰る。
 午後暇なので床屋に行ってみました、こんな小汚い所しか見当たりません、値段は散髪30ルピー、髭剃り20ルピーだそうです、ミャンマーでしこたまルピーを手に入れたお金持ちなので当然フルコースでお願いしました(笑)
 モレにあった2階なのに「サンガイ・ロッジ」とはこれ如何にってロッジ。
 サンガイって何という意味なんだろう、サンガイ・フェスティバルって垂れ幕も見た。

 今日ウロウロとした軌跡の地図↓、ウロウロしたと言うわりにはしっかりとした足跡じゃないか(笑)


ここの国境が再開される日の為の記録、2017年11月現在
 モレ(インド)に両替商はいない、銀行も目に付く所は全部行ってみたがドルも円も両替出来ない、タム(ミャンマー)から毎日物売りが来ているので小銭くらいなら替えられるかも。
 ミャンマーからインドの場合は国境のミャンマー・マーケットでインドルピーを買って来る事、インドからミャンマーならモレ(インド)で使い切るかミャンマー・マーケットで両替可能。
 モレ(インド)からインパールまで乗り合いバンでおよそ3時間、500ルピー、国境から乗り場まで徒歩約10分。
 
 私がこの国境に到着した日は月曜日だったのだが、ミャンマー・マーケットはクローズされていた、月曜日はクローズなのか祭日でクローズなのかは定かではない。

2017年11月13日月曜日

インパール ⇒ モレ

 5時過ぎに目が覚めた、昨日はオート三輪で行こうと考えていたんだが、こんなに早く起きたので歩いて行く事にする、昨夜荷物を預け支払いも済ませてあるので鍵だけ返してホテルを出る。
 お堀に出るともうすぐ太陽が出ようとしていた、歩いていて気付いたのだけどどうもウオーキングをしているらしい人が多数いるように思う、それなりの恰好をしている人もいるが普段着で歩いているようだ、通勤通学ではないだろう、タイだとまず恰好から入る、それなりの恰好になる様上から下までまず揃える、それだけで10年もやっていて健康になった気になるらしい。
 40分程歩いて到着、そこにいた人にモレに行きたいのだがと伝えると、おまえは乗れない政府関係者のみとの事、昨日の人は6:30までに来い7:00発だと言っていたのに。
 向かいに乗り合いバンが沢山止まっていてあれで行けという、そうならそうで構わないんだけど??だな。
 バンの兄ちゃんが言うには
モレまで300ルピー、お客が集まり次第の出発で3時間程だという、今6時半ちょっと前なので待つのは構わない、助手席に座っていると次々にお客が来て6:30出発。
 街を出ると濃霧、そんな中をバンバン飛ばす、途中で降りたり乗り込んだりしながらいくつかの検問を通過、モレまで39KmとAH1(アジアハイウエー)の標識のある検問所はかなり厳しく荷物のチェックをしていた、今日通った検問所では荷物だけで人のチェックはなかった、そこを通過すると道は下りになり、兄ちゃんの言う通り3時間でモレ到着、ここの国境からインドに入れたら3時間でインパールに到着出来たのに、えらい回り道をしたな。
 近くにあったホテル(500ルピー、エアコン・WiFiなし 、水シャワー)にチェックインすると国境へ、それらしい建物は閉まっていて兵隊が一人いるだけ、彼が言うには今日はミャンマーはホリデーなので閉まっていると言う、ホリデーで閉まる国境なんてあるのか?
 お互い上手くとれないコミュニケーションで判った事はもう一つの国境が近くにあるらしい。
 昼飯を食べてちょっと休憩後近くの市場に、大きなサイコロを使った賭博、写真撮るんじゃねェ、って怒られた。
 もう一つの国境へ向かう、朝ここに到着してホテルにチェックイン して向かったのがこの国境、途中まで歩いて、あとどのくらいあるのかグーグルマップで見たら見当違いの方向に歩いている、AH1の標識もあって、そのハイウエー上に国境があるものとばかり思いこの道を選んだのだが違ったらしい、そう思ってグーグルの言う通りの道を行ったのが上の国境、そこで聞いたのがAH1上にあるこの国境、この橋の真ん中が国境でその手前のインド側、大量のごみが道路の脇に山積みになっていて所々で燃えている国境周辺だけでも綺麗にしておいた方がいいと思うぞ。
 橋の手前には標識だけで何もない、橋を渡って行くとポリスと書かれた制服を着たミャンマー人が座っている、イミグレも何もない、インド人だかミャンマー人だかが自由に往来している、この先に行っていいか?って訊いたら、ちょっと考えてダメと言われた、もう越境してるし、写真も撮っていいって言っているんだが何もないので引き返す、来た時の道より河側にも道があったのでそちらに歩いて行くとミャンマーのイミグレがあるじゃないか、ビザがあったら入国出来るか訊いてみたがダメだそうだ、歩いて来た道がその先にも続いているのでブラブラと行く、ミャンマーナンバーのトラックから荷物を下ろしバイクで何処かに運んでいる、バイクもミャンマーナンバーだ、看板もミャンマー語だし、まあ国境付近はこんなもんだと思いながら先に進んで行くとフェンスが左側にある、ひょっとすると来る時に通った検問所のフェンスか?慌てて道行く人に尋ねると、ここはミャンマーだと言う、やっぱり先ほどの看板からミャンマーだったんだ、かなり歩いて来てしまったし、引き返すのもと思い先を歩いていた兄ちゃんにモレに行きたいんだがと伝えると、案内してやるとの事、村の民家の間を通り抜けたりしながらちょっと大きめな通りに出た、その間2国間を遮る物は何もなかった、そしてその通りを真っすぐに進んで出た通りは何と最初に行った国境ゲートのすぐ手前に出たのだ。
 壁もフェンスも河で遮られているわけでもないこの辺では行ったり来たりは自由なんだな。